アメリカに30何年居て、2度結婚したシス子です。今日は国際結婚&離婚のテーマで、自分や友達の経験を軽くお話。
国際結婚って、憧れる人が多いが、実際言葉の問題や、文化の違いのくい違いも多い。だけど、毎日新しい事の連続で刺激的、今まで知らなかった世界に踏み込めるのが最高。でも、いざアメリカに来てみると、自分の生活基盤が出来ていないのに加えて、頼れる人が旦那以外居なくて苦戦、土地感が全く無いので出歩けないなど。 と、愛情だけではやっていけない事に気づく。
人それぞれ価値観や文化が違うので、エンタメ程度に流してください。なお、婚姻手続きは各州で違うので、それぞれチェックしてください。市によっても違うので、自分が住んでいる場所の市のウェブサイトで調べる事をお勧めします。
結婚
憧れの国際恋愛、国際結婚。と言いたい所だが、私は子供の頃から結婚に全く憧れてはなかった。それより、アメリカで自分で生活出来るレベルになって、自立したかったのが本音。だが、学校の友達を通して出会った彼。おもろい奴やんと、友達付き合いを半年以上した後に、結婚に。何故か私のタイプでは無い、ブルーの目の金髪。もろにアメリカ人。まだ、20代前半だったので、余り人生先の事まで考えていなかったので、とりあえずなすがままに。 結婚式も面倒なので、市役所に行ってサインして終わり。披露宴なんてもってのほか。2人共貧乏学生だったので、気にもしていなかった。(後に彼の実家は、実は金持ちやと知った)
離婚
20代中半 移住問題
サンフランシスコに3年住んだ後に、日本や彼の出身地の州に住んだが、私には全く合わなかった。各自住みたい都市が全くかみ合わず、心が壊れ始める、自分を失う地獄。あれだけ楽しかったアメリカ生活も、苦痛。 楽しかった事が楽しくなくなると、しんどい。
ダイエットもしていないのに、ドンドン服が『たぼだぼ』になっていって、ヤバいと思い始めた。 ただ、友達関係としてはOKだった為、喧嘩別れでは無く平和な離婚。アル中、薬中、暴力、浮気、リストラ、金問題と言う事が一切無かったので、私はラッキーだと体感した。
別居して自分を取り戻し、仕事も昇格され転勤も可能になった。友達も沢山出来て、楽しくなってきた1年半後だったが、サンフランシスコが呼んでいた。 自分で裁判所に行って、離婚届を出して裁判官に離婚の許可を貰う。 アメリカをU-Haulのトラックで3日かけて半横断。東京から友達も駆けつけて手伝ってくれた。 サンフランシスコに戻って、無事一人暮らしが始まる。
再婚
再婚するまでに、25年位間があいた。この間何人か彼氏はいたが、結婚しようと思う男には出会えなかった。勿論、経費削減の為に同棲もしていた事もあるが、4-5年すると粗が見えすぎて破局、追い出す、を繰り返していた。
そんなこんなで、今の旦那とは10年一緒。生活習慣や、金銭感覚が合うので問題が起こり難い。起こる前に話し合いをするので、後でもめあうと言う事も無い。お互いに尊敬の意が無いと、他人と生活すると言う事はかなりの難度。全く違う国で生まれて育った2人が、一緒に住むのだから、ちょっとやそっとじゃ上手くいくわけはない。
自分以外にも、色々なカップル、ゲイカップルを長年見てきた私。数年で別れたカップルも居れば、大喧嘩の末に仲良くなったカップルもいる。
中には、結婚1か月を彼らの家で祝ったその夜に大喧嘩して警察沙汰。その後、警察を呼んで告訴した為に裁判所行き。
そんな国際結婚で、気づいた事を数点あげて行きます。私の経験と独断なので、皆が同じとは言えないので、流し見してください。
結婚して気づいた事あれこれ
まとめ
アメリカ生活や、アメリカ人に憧れ過ぎて、テレビドラマや映画の中に居る人注意。 それだけでは絶対に上手くはいきません。こう言う人は実際に国際結婚しても、苦労をするかもしれないです。本当の自分を大事にして、相手に依存しない生活を送った方が後々楽だと体感しました。 結局自分がハッピーじゃないと、誰もハッピーには出来ないっちゅう事です。
自分の幸せであれば良し。日本人は若干他人にどう思われているか、考える人が多い気がする。自分の目の前の幸せに目を向けて、周りの人がどう考えるかに目を向けるなんて時間の無駄。周りに左右されていると、自分で自分を不幸にするので、私はしないです。人は人、うちはうち。